618年に中国を統一した唐は、律令による政治を行い、強力な国家をつくり上げました。日本も唐にならい、律令による政治を行います。今回は律令政治について詳しく学習します。
「律令政治」応用問題
Q:律令政治について、以下の各問いに答えよ。
(1)701年、文武天皇のときに藤原不比等らが、唐の律令ならって制定した法律を何というか。
(2)次の資料は、律令政治のしくみを表したもので、中央に置かれた2官8省の役所についてまとめたものである。資料中の( )に適する語を入れよ。
(3)律令政治では、地方は国・郡に分けられ、それぞれ国司・郡司がこれを治めた。さらにその下には税の取り立てを行う何が置かれたか。
(4)律令政治で、九州地方の行政、防衛、外交などにあたるため、現在の福岡県に置かれた役所を何というか。
(5)班田収授法とはどのような制度か。「戸籍」という語を使って説明せよ。
大宝律令の制定
壬申の乱に勝利した天武天皇のあとは、皇后だった持統天皇があとをつぎます。その後に即位したのが文武天皇です。701年、文武天皇のとき、中臣鎌足の子である藤原不比等(ふじわらのふひと)らが、唐の律令にならって大宝律令(たいほうりつりょう)を制定します。
大宝律令の制定で、大化の改新でめざした天皇を中心とする政治のしくみが完成します。
律令政治
律令によって行われる政治を律令政治(りつりょうせいじ)といいます。ここでは、律令政治のしくみを学習します。まずは、政治を行うために中央と地方に次のような役所が設けられました。
- 中央…2官8省
- 地方…地方は国・郡に分けられ、九州に大宰府が置かれる。
中央の2官8省とは次のような組織です。トップは政治を行う太政官(だじょうかん)と朝廷の神事を行う神祇官(じんぎかん)の2官で、太政官のなかでも一番偉いのが太政大臣(だいじょうだいじん)となっています。
地方は国と郡に分けられましたが、国には中央の貴族が国司(こくし)として任命され、郡には地方の豪族が郡司(ぐんじ)として任命されました。さらにその下には里長(りちょう)が置かれ、税の取り立てなどを行いました。
九州は、中国や朝鮮と近く、防衛や外交などに非常に重要な場所になります。なので、現在の福岡県に大宰府(だざいふ)という役所が設けられました。
班田収授法のしくみ
律令政治の土地制度です。6年ごとに戸籍をつくり、戸籍にもとづいて、6歳以上の男女に口分田(くぶんでん)をあたえ、死ぬと国に返させました。これを班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)といいます。
農民は、口分田を耕し、収穫した稲を税として納める義務がありました。
農民の負担
律令政治のもとでの農民の暮らしは、決して楽なものではありませんでした。農民には、主に次のよな負担が課せられました。
- 租(そ)…収穫した稲の3%を納める
- 調(ちょう)…地方の特産物を納める
- 庸(よう)…都で働くかわりに布を納める
- 雑徭(ぞうよう)…国司のもとで働く
- 兵役(へいえき)…一部は防人(さきもり)として九州へ
「律令政治」応用問題 解答
A
(1)大宝律令
文武天皇のとき、藤原不比等らがつくりました。
(2)ア:太政大臣 イ:民部省 ウ:大蔵省
太政官のトップは太政大臣、戸籍や租税に関することは民部省、財政については大蔵省が担当しました。
(3)里長
おもに税に取り立てなどを行いました。
(4)大宰府
現在の福岡県太宰府市にあります。
(5)戸籍にもとづいて、6歳以上の男女に口分田をあたえ、死ぬと国に返させた。
これも唐の土地制度にならったものです。
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