弥生時代のあとは古墳時代です。権力者が大きな古墳をつくった時代の人々の暮らし、大和政権の成立を学習します。
「古墳時代」基本問題
Q:次の各問いに答えよ。
(1)図1は、埼玉県の稲荷山古墳から見つかった鉄剣に書かれていたものである。この中には当時の最高の地位を示す称号が書かれている。それは何か。
(2)(1)の地位の人が、近畿地方の有力な豪族とともに打ち立てた政権を何というか。
(3)(2)の政権のころ、大陸から日本に移り住んだ人を何というか。
(4)図2は世界遺産に登録された大阪府の大仙古墳である。このよ
うな形の古墳を何というか。
(5)古墳の周りに並べられた土製の人や動物などの像を何というか。
古墳がつくられた時代
弥生時代に登場した卑弥呼が活躍したのが3世紀前半でした。そのあとの3世紀の半ばから4世紀にかけて、近畿地方から瀬戸内地方で大きな古墳(こふん)がつくられるようになります。
古墳は大王(だいおう・おおきみ)やその地域の支配者である豪族(ごうぞく)の墓で、4世紀から6世紀に多くつくられました。
大仙古墳と古墳の種類
大仙古墳(だいせんこふん)(大山古墳・仁徳陵古墳)は、5世紀ごろにつくられた大王の墓で、日本最大の前方後円墳になります。当時の大王の勢いが盛んな様子がうかがい知れます。

大阪府堺市の大仙古墳(大山古墳)
古墳の形にはいくつかの形があり、次の3種類が多くつくられました。
- 前方後円墳…前方の方形と後方の円形の部分を組み合わせた形
- 方墳…方形の古墳
- 円墳…円形の古墳
このうち、前方後円墳に大きなものが多いです。
古墳からの出土品
古墳からは多くの出土品がみられ、当時の社会の様子がうかがい知れます。古墳の表面はふき石でおおわれ、周りや頂上に、筒形や人物、動物、家、舟などを形どった埴輪(はにわ)が置かれました。
埴輪は粘土を焼いてつくった土製品で、つくられた理由は、前の王の霊力を引き継ぐため、古墳に葬られた人の生前の活躍を表している、葬儀のようすを表しているなどいろいろな説がありますが、本当のところはまだよくわかっていません。
石室(せきしつ)の内部からは、死者をおさめた棺(ひつぎ)のほか、鉄製の刀剣や馬具、玉(宝石)や銅鏡(どうきょう)などの副葬品(ふくそうひん)が出土しています。埴輪や副葬品から、当時の人々の暮らしや社会の様子を知ることができます。
大和政権の成立
3世紀後半から4世紀にかけて、近畿地方の豪族が大王を中心にまとまり、大和政権(ヤマト王権)がつくられました。この政府を大和朝廷(やまとちょうてい)といいます。
5世紀には、大和政権の勢力が九州から東北地方南部までおよんでいたことが、埼玉県の稲荷山古墳から見つかった鉄剣と、熊本県の江田船山古墳の鉄刀に刻まれた文字からわかっています。
大和朝廷の政治のしくみ
大和朝廷は、大王を中心とした豪族の連合政権でした。豪族たちはそれぞれ血縁などによる氏(うじ)という集団でまとまっており、大王は氏に姓(かばね)という朝廷での仕事や地位を表す名前をあたえて政治を行いました。この政治をしくみを氏姓制度(しせいせいど)といいます。
●有名な氏
- 平群氏(へぐりし)
- 蘇我氏(そがし)
- 大伴氏(おおともし)
- 物部氏(もののべし)
- 中臣氏(なかとみし)
●代表的な姓
- 臣(おみ)…大王家から分かれた氏族、平群氏・蘇我氏など
- 連(むらじ)…大王家とは祖先の違う氏族、大伴氏・物部氏・中臣氏など
- 君(きみ)…大王家から分かれた地方豪族
また、大和朝廷では国の成り立ちや国づくりの様子を明らかにしようとして、8世紀の初めごろに大王の命令で「古事記」や「日本書紀」などの歴史書の作成が始まります。ヤマトタケルノミコトの国土統一の話などがまとめられています。
「古墳時代」基本問題 解答
A
(1)大王
獲加多支鹵大王(ワカタケル大王)とは雄略天皇のことだと考えられています。
(2)大和政権(ヤマト王権)
大王を中心とした豪族の連合政権です。
(3)渡来人
中国や朝鮮から日本(倭)に移り住んだ人々のことを渡来人(とらいじん)といいます。
(4)前方後円墳
近畿地方を中心に大型の前方後円墳がつくられました。
(5)埴輪
埴輪(はにわ)の漢字が書けるようになっておきましょう。
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