飛鳥時代に聖徳太子が政治を行った後は、どのような社会になっていったのでしょうか。今回は大化の改新について学習します。
「大化の改新」基本問題
Q:次の年表を見て、後の各問いに答えよ。
年代 | できごと |
618 | 隋が滅び( a )が中国を統一。・・・・・A |
645 | 大化の改新がおこる。・・・・・・・・・・・B |
660 | 朝鮮半島の( b )が滅ぼされる。・・・・C |
663 | 白村江の戦で日本が敗れる。・・・・・・・・D |
672 | 壬申の乱がおこる。・・・・・・・・・・・・E |
(1)年表中の( a )( b )に入る国名を答えよ。
(2)年表中のAで、( a )の国の基本となるきまりを何というか。
(3)年表中のBについて、以下の各問いに答えよ。
①下の( ア )( イ )には、大化の改新で活躍した人物が入る。あてはまる人物名を答えよ。
●天皇 ⇒孝徳天皇 ●皇太子⇒( ア ) ●右大臣⇒蘇我倉山田石川麻呂 ●左大臣⇒阿倍内麻呂 ●内臣 ⇒( イ ) |
➁大化の改新により、これまで豪族がもっていた土地と人民を国のものとすることが決められた。これを何というか。
(4)年表中のCについて、この後、676年に朝鮮半島を統一したのはどこか。
(5)年表中のDについて、白村江の戦で日本が敗れたあと、北九州の防衛のための兵士が配備された。この兵士を何というか。
(6)壬申の乱がおこった理由を、簡単に説明しなさい。
大化の改新
聖徳太子の死後、蘇我氏は聖徳太子の一族を滅ぼし、天皇の勢いをしのぐほどに勢力を拡大させました。中国では618年に隋(ずい)が滅び、唐(とう)が中国を統一し、国の基本となる決まりである律令(りつりょう)にもとづく政治のしくみを整え、強力な国をつくって行きました。隋や唐に学んだ留学生などは、唐のような強力な国家をつくる必要を感じていました。
中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)や中臣鎌足(なかとみのかまたり)らは、645年に、蘇我蝦夷(そがのえみし)・蘇我入鹿(そがのいるか)親子を滅ぼし、唐の制度にならった国づくりを開始します。これが大化の改新(たいかのかいしん)です。このとき日本で初めて「大化」という元号が使われました。
●大化の改新による新政府
- 天皇 ⇒孝徳天皇(こうとくてんのう)
- 皇太子⇒中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)
- 左大臣⇒阿倍内麻呂(あべのうちまろ)
- 右大臣⇒蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだいしかわまろ)
- 内臣 ⇒中臣鎌足(なかとみのかまたり)
中臣鎌足は大化の改新での功績を認められ、のちに藤原の姓をもらい、藤原氏の祖先になります。
公地公民と班田収授法
646年には、改新の詔(かいしんのみことのり)を出さし、4つの政治方針を打ち出します。
- 公地公民(こうちこうみん)
豪族がもっていた土地と人民を国のものとする。 - 都をつくり、地方には国司(こくし)・郡司(ぐんじ)を置く
- 班田収授法(はんでんしゅうじゅのほう)
戸籍(こせき)をつくって、人々に田をわけあたえる。 - 新しい税制
田に対する一定の税を課す。
改新の詔で打ち出された方針が、実現するのはまだまだ先のことになります。
白村江の戦い
朝鮮半島では、新羅(シルラ・しらぎ)が百済と高句麗を滅ぼし、676年に朝鮮半島を統一します。日本は、仲が良かった百済を助けるために軍を送りますが、663年に白村江の戦い(はくすきのえ・はくそんこう)で唐・新羅連合軍に敗れます。
白村江の戦いのあと、中大兄皇子は防衛体制を整えるために、北九州に防人(さきもり)を配備し、水城や大野城などの防衛のための城をつくります。
都も防衛のために大津宮にうつし、そこで中大兄皇子は天智天皇(てんじてんのう)として即位します。天智天皇は全国の戸籍をつくるなど、改新の政治を進めていきます。
壬申の乱
しかし、改新の半ばで天智天皇が亡くなります。天智天皇のあとつぎ争いで、息子の大友皇子(おおとものおうじ)と弟の大海人皇子(おおあまのおうじ)が争う壬申の乱(じんしんのらん)がおこります。
この戦いに勝利した大海人皇子は、天武天皇として即位し、改新の政治をさらに進めることになります。
「大化の改新」基本問題 解答
A
(1)a:唐 b:百済
618年に隋を滅ぼした唐が中国を統一します。660年に百済が新羅によって滅ぼされ、百済を助けるために日本は軍を派遣します。
(2)律令
律令とは、国の基本となるきまりで、律が刑法にあたり、令は行政法にあたります。
(3)➀ア:中大兄皇子 イ:中臣鎌足 ➁公地公民
大化の改新で活躍したのは、中大兄皇子と中臣鎌足です。大化の改新後に出された改新の詔に、公地公民の基本方針が書かれています。
(4)新羅
935年に高麗に代わるまで、朝鮮半島を統一しました。
(5)防人
北九州の守りについた兵士です。白村江の戦いのあとに配備されました。
(6)天智天皇が亡くなった後の天皇の地位をめぐる争い。
息子の大友皇子と弟の大海人皇子が争い、勝った大海人皇子が天武天皇として即位します。
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