日本の歴史の始まりから縄文時代まで学習します。石器や遺跡、人々の生活のようすなどを理解することが重要です。
「縄文時代」基本問題
Q:次の文章を読んで、以下の各問いに答えよ。
群馬県の( A )遺跡から( B )石器を発見した相沢忠洋は、( C )時代の前に旧石器時代があったことを証明した。旧石器時代には日本列島が大陸と陸続きであったことが、野尻湖の湖底から発掘された( D )の化石で証明されている。
(1)文中のA~Dにあてはまる語句を記入せよ。
(2)Cの時代の人々の生活として適するものを、次のア〜エから1つ選び、記号で答えよ。
ア 狩りや漁、木の実などの採集をして定住の生活を行っていた。
イ 狩りや漁、木の実などの採集をして洞くつなどに住んでいた。
ウ 稲作を行いながら、定住していた。
エ 大型のホニュウ動物を狩り、洞くつなどに住んでいた。
(3)上の図の名称を答えよ。
(4)(3)は何のためにつくられたか。
旧石器時代
今から数万年前の旧石器時代は、打ち欠いただけの打製石器(だせいせっき)を使い、狩りや採集をしながら生活をしていた時代です。このころは、大陸と陸続きになる時期もあり、大陸から大型のナウマンゾウやオオツノジカなどが日本にいました。
このような大型のホニュウ動物を追って、平地に簡単な住居をつくったり、洞くつなどで人々は生活していました。
●旧石器時代の遺跡
- 岩宿遺跡(いわじゅくいせき)群馬県
相沢忠洋(あいざわただひろ)という青年が関東ローム層(赤土)の中から1万年以上前の人々が使っていた打製石器を発見した。 - 野尻湖(のじりこ)長野県
ナウマンゾウのきばや、オオツノジカの角の化石が発見されている。
縄文時代
約1万3千年前から地球があたたかくなり、氷河が溶け海面が上昇し、今のような日本列島が誕生しました。日本列島ができたころ、人々は磨いて仕上げた磨製石器(ませいせっき)も使うようになり。小型のホニュウ動物などを狩って生活していました。
ねん土を低温の炎で焼き固めて土器をつくり、表面に縄目(なわめ)のもようをつけたので、この時期の土器を縄文土器(じょうもんどき)といいます。低温で焼かれたので、厚手でもろく黒かっ色をしています。おもに、食べ物の貯蔵(ちょぞう)や煮炊きに利用しました。
けものや魚の骨や角、きばなどで、狩りや漁に使う骨角器(こっかくき)もつくられました。狩りでは小型のホニュウ動物をしとめるために、弓矢を使ったり、漁では網(あみ)や丸木舟(まるきぶね)なども使われました。
また、食べ物の残りかすなどを捨てた場所を貝塚(かいづか)といい、アメリカ人のモースが発見した大森貝塚などが有名です。貝塚を調べることで、同時の人々の生活のようすがうかがい知れます。
住居は、水の得やすい丘や大地の上に竪穴住居(たてあなじゅうきょ)をつくり、数けんから数十けんの集落で暮らしていました。この当時の社会には、身分や貧富(ひんぷ)の差がなかったことが、住居のつくりや規模、埋葬(まいそう)方法にほとんど差がないことからわかります。
自然をたよる生活は不安定だったので、魔よけや獲物(えもの)の豊かさ、子孫の繁栄(はんえい)などをいのって、土偶(どぐう)とよばれる土製の人形がつくられました。
●縄文時代の遺跡
- 大森貝塚(おおもりかいづか)東京都
アメリカ人のモースが発見した貝塚で、土器や骨角器、磨製石器などが発見されている。 - 三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)青森県
縄文時代の大集落の跡。高さ10m以上の建造物もつくられていたのではないかと考えられる。
「縄文時代」基本問題 解答
A
(1)群馬県の(A岩宿)遺跡から(B打製)石器を発見した相沢忠洋は、(C縄文)時代の前に旧石器時代があったことを証明した。旧石器時代には日本列島が大陸と陸続きであったことが、野尻湖の湖底から発掘された(Dナウマンゾウ)の化石で証明されている。
(2)ア
縄文時代の人々は、狩りや漁、木の実や果物などの採集生活をし、竪穴住居などに定住して生活をしていました。
(3)土偶
(4)魔よけや豊かな獲物、子孫はんえいなどをいのってつくられた。
コメント