中学受験歴史「古墳時代(2)」中国や朝鮮との関係

古墳時代の中国・朝鮮 アイキャッチ社会

古墳時代に大和政権が誕生したことは前回学習しました。今回は中国や朝鮮との関係を見ていきましょう。

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「古墳時代の中国と朝鮮」応用問題

:下の文章を読んで次の各問いに答えよ。

中国の歴史書によると、5世紀ごろb倭の五王は、( ① )を認めてもらうため、中国にしばしば使いを送った。このころc中国や朝鮮から日本に渡ってくる人々が増え、朝鮮の( ② )から、中国の文字である漢字や孔子の教えである( ③ )が日本に伝えられた。仏教は6世紀中ごろ( ④ )から公式に日本に伝えらえた。

古墳時代の中国と朝鮮1(1)文中の( ➀ )に、倭の五王が中国に使いを送った理由を書け。

(2)文中の( ➁ )〜( ④ )にあてはまる国名や語を書け。

(3)文中の下線部aは、次のうちどれか。
ア「魏志」倭人伝  イ「漢書」地理志
ウ「宋書」倭国伝  エ 「後漢書」東夷伝

(4)文中の下線部bで、雄略天皇だといわれているのは次のうち誰か。
ア 讃    イ 珍    ウ 済    エ 興    オ 武

(5)文中の下線部Cを何というか。

(6)文中の( ② )にあたるのは、地図中のA~Cのどれか。

【問題DL】古墳時代の中国と朝鮮

古墳時代の日本と中国・朝鮮の関係

古墳時代に成立した大和政権は、国土の統一がほぼ終わると、朝鮮半島の豊かな鉄資源や優れた技術を求めて、加羅(から)地方に勢力をのばしていました。加羅は任那(みまな)とも呼ばれています。

 

4世紀末の朝鮮半島

4世紀末の朝鮮半島

4世紀の終わりごろには、百済(ペクチェ・くだら)と結んで、新羅(シルラ・しらぎ)や高句麗(コグリョ・こうくり)と戦っています。高句麗の広開土王(こうかいどおう)の碑には、広開土王が日本(倭)の軍を破ったことが記されています。

「宋書」倭国伝

5世紀ごろの大和政権の大王は、倭の王としての地位と、朝鮮半島南部の支配権を認めてもらうため、中国にしばしば使いを送っています。このことは中国の歴史書である「宋書」倭国伝(そうじょわこくでん)に記されています。

●「宋書」倭国伝

興死して弟武立ち、自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍・倭国王と称す。
順帝の昇明二年(478年)、使を遣はして表を上る。曰く「封国は偏遠にして、藩を外に作す。昔より祖禰躬ら甲冑を擐き、山川を跋渉して寧処に遑あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平らぐること九十五国。…

雰囲気だけ感じてください。書き出しを見て、「宋書」倭国伝だとわかれば十分です。

「宋書」倭国伝には、使いを送った倭の五王が登場します。

  • (さん)
  • (ちん)
  • (せい)
  • (こう)
  • (ぶ)=雄略天皇

武は雄略天皇だと考えられており、他の王ははっきりとわかっていません。雄略天皇は鉄剣に書かれていたワカタケル大王のことでしたね。

渡来人と大陸の文化

5世紀ごろから、中国や朝鮮から日本(倭)に移り住む人々が増えてきました。この人々を渡来人(とらいじん)といいます。

渡来人は大陸の優れた学問や技術を伝えたので、朝廷は渡来人を保護し、朝廷での記録の仕事や重要な仕事をまかせるようになります。大陸の進んだ宗教や思想も渡来人によって伝えられました。

日本の文化や生活も向上します。渡来人によって土木技術生産技術が伝えられ、農業生産が高まったり、養蚕(ようさん)、機織り(はたおり)、硬い質の土器である須恵器(すえき)をつくる新しい技術などが伝わりました。

漢字・儒教・仏教の伝来

5世紀の初めごろ、渡来人によって中国の漢字や、孔子の教えである儒教(じゅきょう)が伝えられます。538年には、百済から仏教経典(きょうてん)が朝廷におくられ、仏教が公式に伝えられました。

仏教はのちに、日本の文化や生活に大きな影響を与えることになります。

「古墳時代の中国と朝鮮」応用問題 解答


(1)倭の王としての地位と、朝鮮半島南部の支配権
豊かな鉄資源や優れた技術を求めて、大和政権は朝鮮半島南部に進出していました。

(2)➁百済 ③儒教 ④百済
漢字や儒教、仏教は百済から伝えられました。

(3)
5世紀に、倭の五王が中国に使いを送ったことは、「宋書」倭国伝に記されています。

(4)
讃・珍・済・興は誰なのかわかっていません。

(5)渡来人
優れた土木技術や生産技術を日本医伝えました。

(6)
朝鮮半島の西武が百済、東部が新羅、北部が高句麗、南部が加羅になります。

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