中学受験歴史「奈良時代(2)」天平文化

奈良時代の天平文化 アイキャッチ 理科
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飛鳥時代の文化は、日本で初めての仏教文化でした。多くの寺院などがつくられました。今回は奈良時代の天平文化について学習します。

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「天平文化」応用問題

:次の文章を読み、以下の各問いに答えよ。

奈良時代の都であるの平城京は、唐の都長安にならい碁盤目のように走る道路で区画され、中央の南北を通る( a )大路によって東西に分けられている。東側を( b )京、西側を( c )京と呼び、薬師寺や( d )のためにつくられた➀唐招提寺などの寺院は右京に、大安寺などの寺院は左京に分けられていた。さらに、もっとも東側に位置する( e )京には興福寺などの寺院があった。この時期の文化を天平文化といい、貴族中心の仏教文化で国際色が強い文化となっている。( f )造で建てられた➁正倉院には、( g )を通じて伝わった西アジアやインドの文化の影響が見られるものもある。また、この時期には、③歴史書や地理書、歌集などもつくられた。

(1)文章中の( a )〜( g )に適する語を入れよ。

(2)文章中の下線部➀について、唐招提寺は次のうちどれか。記号で答えよ。

奈良時代寺院

(3)文章中の下線部➁について、正倉院におさめられているものとして適するものを、次の中から1つ選び、記号で答えよ。
ア 螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんごげんのびわ)
イ 玉虫厨子(たまむしのずし)
ウ 天寿国繡帳(てんじゅこくしゅうちょう)
エ 吉祥天像(きちじょうてんぞう)

(4)文章中の下線部③について、このころにつくられた地方の産物や地理・伝説などをまとめた書物を何というか。

【問題DL】奈良時代(2)天平文化

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奈良時代の文化「天平文化」

8世紀の中ごろに、平城京を中心にはなやかな貴族中心の仏教文化が栄えました。この文化を天平文化(てんぴょうぶんか)といいます。天平とは、聖武天皇のときの元号をとってつけられました。

中国ではが栄え、シルクロードを通じて、西アジアやインド、ヨーロッパとも交易があったので、天平文化もその影響を受け国際的な文化の影響を受けています。

正倉院の宝物

奈良の平城京の近くに建てられた東大寺の正倉院(しょうそういん)は、校倉造(あぜくらつくり)という建築方法で、聖武天皇が使用していた遺品など約15万点がおさめられています。校倉造とは、柱を用いずに三角形の断面の木を組み合わせたつくりのことで、下の写真の壁を見ると、そのようすが確認できます。

正倉院

おさめられている宝物の中には、中国とヨーロッパを結んだシルクロード(絹の道)を通じて伝えられた、西アジアやインドの影響を受けたものもあります。

正倉院に収められている代表的な宝物には、次のようなものがあります。

  • 螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんごげんのびわ)
  • 瑠璃杯(るりのつき)
  • 鳥毛立女屏風(とりげだつじょのびょうぶ)

奈良時代の寺院

奈良時代は、仏教が非常に強い影響力を持った時代です。多くの寺院がつくられました。下の平城京の図を見るだけでも、多くの寺院があることがわかります。

平城京

大仏がおさめられている東大寺や鑑真のために建てられた唐招提寺は、写真がよく出題されるので、形の特徴をつかんでおきましょう。

東大寺と唐招提寺

奈良時代につくられた歴史書・地理書・和歌集

奈良時代には、多くの書物もつくられました。天皇の力が強まり律令制が完成されてくると、朝廷は国のおこりや神話・伝承などを皇室を中心に歴史書にまとめます。

  • 古事記(こじき)
    712年、稗田阿礼(ひえだのあれ)が暗しょうしたものを、太安万侶(おおのやすまろ)が書き上げた。
  • 日本書紀(にほんしょき)
    720年、舎人親王(とねりしんのう)などが中心になって書き上げられた。

また国々の国司に命令し、国ごとにその土地のようすや伝承、産物などをまとめた風土記(ふどき)もつくらせています。

歌集もまとめられました。天皇や貴族のほかにも、農民や防人の作品まで約4500首を集めた、わが国最初の和歌集である万葉集(まんようしゅう)も完成します。柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)、大伴家持(おおとものやかもち)、山部赤人(やまべのあかひと)、山上憶良(やまのうえのおくら)、額田王(ぬかたのおおきみ)などが有名な歌人です。

「天平文化」応用問題 解答


(1)奈良時代の都であるの平城京は、唐の都長安にならい碁盤目のように走る道路で区画され、中央の南北を通る(a朱雀)大路によって東西に分けられている。東側を(b)京、西側を(c)京と呼び、薬師寺や(d鑑真)のためにつくられた唐招提寺などの寺院は右京に、大安寺などの寺院は左京に分けられていた。さらに、もっとも東側に位置する(e)京には興福寺などの寺院があった。この時期の文化を天平文化といい、貴族中心の仏教文化で国際色が強い文化となっている。(f校倉)造で建てられた正倉院には、(gシルクロード)を通じて伝わった西アジアやインドの文化の影響が見られるものもある。また、この時期には、歴史書や地理書、歌集などもつくられた。

(2)
イは東大寺、アは本願寺になります。

(3)
正倉院に宝物として、螺鈿紫檀五絃琵琶、瑠璃杯、鳥毛立女屏風の3つを覚えておきましょう。

(4)風土記
現在でも、出雲(島根県)、常陸(茨城県)、播磨(兵庫県)、豊後(大分県)、肥前(佐賀・長崎県)の5か国の風土記は、その一部が残されています。

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